社会の片隅から

これまで「中国女性・ジェンダーニュース+」で取り上げてきた日本の社会や運動に関する記事を扱います。

フェミニズムに反する上野千鶴子さんの「脱原発」シングルイシュー選挙肯定

上野千鶴子さんが、WANサイトの「ちづこのブログ」(No.59)に「都知事選は脱原発都民投票だ」(2014年1月23日)という一文をお書きになった。

上の一文で、上野さんは以下の2点を論じ、それぞれ次のように答えていると言えるだろう。
(1)「脱原発」という「国政マター」を都知事選の重要な争点にすることの是非→(上野氏の答え)是
(2)「脱原発」という「シングルイシュー」で都知事選をすることの是非→(上野氏の答え)是

私も(1)については、その通りだと思う。しかし、(2)については疑問を感じ、すぐに以下の意見をWANサイトのコメント欄に記した。

上野さんの今回の文章については、今回の都知事選では「脱原発」という争点が重要だという点については、その通りだと思います。けれども、上野さんが「シングルイシュー」を強調しておられる点については、疑問に思います(自民党に対する反論としては、一定の意味はあるにしても)。選挙は各個人のそれぞれの生活や要求をもとにして闘うべきもので、貧困や福祉の問題はもちろんですし、なかなか選挙の争点にはなりにくいジェンダーやフェミニズムの問題はどの選挙でも積極的に争点として押し出していく必要があると思うのです。たとえば、「女性と人権全国ネットワーク」では、各候補に公開質問状を出しておられますね。
http://www.projectjapanwomen.net/#!tochijisen/c226c


実際、(1)の点に関する上野さんの主張は説得力があるが、(2)の点に関する上野さんの主張は説得力に乏しい。たとえば、上野さんは都市博中止という「シングルイシュー」を公約に掲げた青島都政の下でも都政は機能したと述べ、都の福祉行政の担当者のレベルは高いので知事には「へたに手をつけてもらわないほうがよいくらいだ」とおっしゃっている。しかし、かりに上野さんの青島都政認識が正しいとしても、今後、「シングルイシュー」で当選した知事がそれ以外の分野に「へたに手をつけ」ない保証はないし、いくら担当者のレベルが高くても予算がなければどうしようもないだろう。

私がショックだったのは、一貫してフェミニズムの立場に立ってこられた上野さんが「シングルイシュー」論を唱えたことだ。私は、どこかの男性知識人が原発への強い危機感から「シングルイシュー」論を展開するのに対して、「女の問題を後回しにするな」、「女の問題は些末な問題ではない」と発言なさることが、むしろ上野さんにふさわしいと思うのだが……。脱原発政策を大いに主張しつつも、そのためにも都政において性差別解消に取り組む意義も説くこともできる(たとえば原発が差別や家父長制に支えられていることを指摘して)と思うが、それもなさっていない。これではフェミニズムの視点を放棄なさっていると言わざるをえない。

また、上野さんが説かれてきた女性運動の戦争協力への反省などから考えても、朝鮮学校への補助金支給停止やヘイトスピーチ問題(上野さんの名誉のために言えば、これらの点については、上野さんもきちんと意見を表明してこられた)を争点として無視していいとも思えない。

上野さんの一文は、特定の候補者には触れていないが、今回の都知事選の情況から見ると、ひょっとしたら細川候補を推すつもりで書かれたのかもしれない。というのは、今回の選挙では、細川陣営が「脱原発」という「シングルイシュー」を強調してきたからである。しかし、かりに細川候補を推すことが正しいとしても(私が都民だったら彼には投票しないけれど)、「シングルイシュー」論が正しいということにはならない。なぜなら、第一に、誰に投票するにせよ、投票の際には、「シングルイシュー」でなく、女性/ジェンダー政策などについても検討するべきだからだ。もちろん、たとえある候補者の女性/ジェンダー政策が劣っていたとしても、他のさまざまな要素を勘案して、その候補者に一票を投じることはありうるが、そのことと「シングルイシュー」でよしとすることとは異なる。第二に、ジェンダーやフェミニズムを争点として押し出すことによって、各候補者に、その点に関してより良い公約をさせることができる場合があるからである。候補者への働きかけや公開質問状の送付・督促、候補者相互の論戦の過程などで、候補者が当初よりもきちんとした政策を出さざるを得なくなるケースはしばしばある。実際、宇都宮候補も、前回選挙に出馬を表明した当初の政策はジェンダー視点が乏しかったが、女性の方々の働きかけで改善されたりしている。

私には、上野さんが今回、「脱原発」シングルイシューを唱えておられる理由がわからない。ひょっとしたら、最近「シングルイシュー」が流行していることと関係があるのかもしれない。たしかに脱原発運動ならば、「脱原発」という一致点ですすめるべきだろう(ただし、より有効な運動にするためには、各自の独自の観点や相互の対立点についてもきちんと議論して運動を発展させることも必要だという点も見落としてはならないと思うが)。しかし、知事の権限はきわめて幅が広い以上、原理的に「シングルイシュー」とはなじまないと思う。また、今回の上野さんの「脱原発」の中にフェミニズム視点が入っていないのは、そもそも今の日本では、エコロジーの中にフェミニズムの視点を入れる必要性を説くような「エコロジカル・フェミニズム」(たとえば、私はメアリ・メラー『境界線を破る!』に感銘を受けた)があまり発展していないこととも関係があるのかもしれない。しかし、いずれにせよ、はっきりしたことはわからないが……。

上野さんは、私などとは比較にならないくらい優れたフェミニストであることは間違いない。しかし、今回の一文に関するかぎり、何度読んでも、フェミニズムを放棄しているように思えてならない。

(※)なお、上野さんは、文中で、「それに有権者はシングルイシューだけを選んでいるわけではない。身の回りを直撃するできごとから国政マターまで連続性を持った政策の組み合わせを選んでいる」ともおっしゃっているが、それなら「連続性を持った政策」のパッケージを提示するという話であり、シングルイシュー肯定とは矛盾している。また、ある問題(たとえば原発問題)に関する理解の深さが自動的に他の問題(たとえば女性問題)への理解を保障するものではない以上、ある程度、それぞれの争点に独自性があることも無視してはならないだろう。

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遠山日出也
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