遠山日出也
目次はじめに
1 前川さんの主張の要旨
2 森岡さんが言う「内発的な動機」「『男らしさ』からの脱却」とは?
2-1 「内発的な動機」=「いわば利己的な動機」か? 一要因としての「男女平等思想」
2-2 「『男らしさ』からの脱却」の具体的内容は? 女性を縛る「女らしさ」や性別役割とは無関係か?
3 草食系男子の恋愛全体のジェンダー平等/差別性を検討する必要
4 森岡さんが指摘する草食系男子の特徴から
5 森岡さんによる草食系男子へのインタビューから
5-1 コミュニケーションにおける性別役割
5-2 労働における性別役割分業
5-2-1 全体的には、性別分業に対して柔軟な傾向
5-2-2 子どもが小さいうちは妻が家庭にいることを望む意見について
6 草食系男子は、ジェンダー平等への第一歩はすでに踏み出している
7 「男らしさ」に乗らないことは必ずしも「生きやすい」「利己的な」選択ではない――彼らを応援した森岡さんの著書の意義
8 森岡さんが言う「草食系男子」の増加は立証されていない――この点で「フェミニズムの勝利」か疑問が残る
9 「美味しいとこ取り」をどう考えるか
9-1 森岡さんと前川さんは、「男らしさ(からの脱却)」について、定義や考察の対象が少し異なるのでは?
9-2 「美味しいとこ取り」とそれに対する対応についての私なりの考察
10 草食系男子にどう訴えるか
10-1 歴史を踏まえた訴え
10-2 とくに草食系男子に焦点を当てた訴え
10-3 とくに「美味しいとこどり」の問題に対応した訴え
おわりに
はじめに前川直哉さんが、先月、「
『草食系男子』は、どうすればジェンダー平等への一歩を踏み出せるか 〈男らしさからの脱却〉論を超えて」(『現代ビジネス』2020年1月16日)を発表なさいました。前川さんは、森岡正博さんの「草食系男子」論を参考にしつつも、それを批判しています。
前川さんの一文は、男性が自らの性別役割から脱却することや男性自身の解放とジェンダー平等との関係についての考察にもなっています。私もこのテーマについては強い関心を持っています(注1)。前川さんは、両者の間に区別と関連の両方があることを述べています。この点も、私は、前川さんと同じ考えです。
しかし、私は、前川さんも依拠している森岡さんの草食系男子に関する調査や考察の到達点を踏まえるかぎり、前川さんがおっしゃるより、両者の間に強い関連があると考えます。本稿ではそうした点について論じていきます。
1 前川さんの主張の要旨まず、以下で、前川さんの主張の要旨を紹介させていただきます。
森岡正博さんは、草食系男子は「みずからが規範を産出して女性を制圧し保護するという意味での『男らしさ』を窮屈に感じ、その呪縛から自分で降りようとしている男性たちである」、「女性たちに糾弾されたからそうするというのではなく、自分たちの内発的な動機によってそうする」であり、彼らの登場は「フェミニズムの勝利だと捉えてよい」と述べている。
たしかに草食系男子の中には、女性の困難を含めたジェンダーの問題と向き合う声もあるが、その一方で、「子どもができたら、奥さんに子どもの側にいてあげてほしい」と言う人もおり、彼らは必ずしも性別役割分業観から自由というわけではない。
私(=前川さん)は、草食系男子が「内発的な動機によって」自らのジェンダー規範から降りる点にこそ問題があると考えている。男性が自身を縛る「男らしさ」の呪縛を窮屈に感じ、そこから逃れようとすることと、女性に「女らしさ」や「ケア役割」を求め続けることは、「自身の生きやすさの追求」という内発的動機において両立できてしまう。もしそういう「美味しいとこどり」をする男性が増えたのなら、「フェミニズムの勝利」と呼ぶことはできない。
よく似た構造は、「男はつらいよ型男性学」がはらむ問題点にも見られる。この点については、江原由美子さんが指摘している危惧を、私も以下のように共有している。
男性が、自らに課せられた性別役割やジェンダー規範からの脱却を求めるだけではなく、女性に課せられた性別役割やジェンダー規範を変えようとしない限り、ジェンダー平等という社会的公正に資することにはならない。
男性たちが自身の心地よさだけを追求すると、自身が男性として享受している特権を温存しようという動きに繋がりかねない。彼らにとって、フェミニズムの主張は、自分たちの安寧を脅かすので、バッシングの対象となってしまう。「男らしさも恋愛も面倒」という、いわば利己的な理由だけで「草食化」した男性たちは、ジェンダー平等に資する存在とは言えない。
とはいえ、草食系男子は、ジェンダー平等で公正な社会の実現に貢献する可能性を秘めている。森岡さんは草食系男子の特徴の一つとして「女性を、女として見る前に、ひとりの人間として見ることができる」ことを挙げている。この点は、ジェンダー平等という観点から見たとき、今の日本社会において全ての男性に求められている。また、「男らしさ」に違和感を抱いた男性が、「女らしさ」による女性の生きづらさに気づくケースも多いだろう。
人権や平等といった近代の概念は、少しずつその対象範囲を広げてきた。制限選挙で選挙権を有していた特権層が、自分の一票の重みが減るのを承知で男子普通選挙導入を訴える政党に票を投じ男子普選を実現させたように、自身の特権が多少減じてでも「公正な社会」を選んできた歴史は無数にある。私たちもその恩恵を得ているのだから、より平等で公正な社会を目指す動きに待ったをかけるのは、虫が良すぎる。
社会的公正と自身の生きやすさの追求は、決して矛盾するものではなく、両立できる。女性が生きづらさを訴える声に耳を傾け、この社会がよりジェンダーに縛られない、公正なものとなるよう身近なことから変えていこう。前川さんの主張は、だいたい以上のようなものです。
私も、前川さんが述べておられる主張のうち、以下の点には意義があるし、賛同できると考えています。
・男性が、自らに課せられた性別役割やジェンダー規範からの脱却することと、女性に課せられたそれらを変えることとは別の問題である面を指摘していること。
・草食系男子がジェンダー平等社会の実現に貢献できる面を指摘していること。
・「美味しいとこどり」の問題を提起したこと。
・特権層が自身の特権が減じてでも「公正な社会」を選んできた歴史があること。社会的公正と自身の生きやすさの追求は矛盾するものではなく、両立できること。
私が前川さんに同意できないのは、前川さんが以下のような論理を展開している点です。:草食系男子が「男らしさ」の呪縛から逃れるのは彼らの「内発的な動機」によるものである点に問題がある。それは自らの「生きやすさ」の追求という「いわば利己的な理由」であり、性別役割(分業)や女性の生きづらさとの解消とは別問題なので、彼らの登場はジェンダー平等に資するものではなく、「フェミニズムの勝利」(森岡)とは言えない。むしろ、彼らにとって、フェミニズムの主張は、自分たちの安寧を脅かすものとしてバッシングの対象となりかねない。
前川さんも述べているように「草食系男子」の定義は人によってさまざまですし、実態に対する認識も人によって異なりますが、前川さんは下のa~cの森岡さんの著作に依拠して論じておられるので、ここでは、私も同じ森岡さんの著作にもとづいて考えてみます。
a.森岡正博『草食系男子の恋愛学』(メディアファクトリー 2008)
b.森岡正博『最後の恋は草食系男子が持ってくる』(マガジンハウス 2009)
c.森岡正博「
『草食系男子』の現象学的考察(PDF)」
The Review of Life Studies 1(2011)
以下、森岡さんの著作からの引用は、上記の各文献に付けたa、b、cの記号とページ数を記します。
なお、以下では、できるだけ丁寧に議論をしたために、長文になっていることをお詫びします。前川さんご本人もとっくにお気づきの点を述べている個所もあると思いますが、その点もご了承ください。
2.森岡さんが言う「内発的な動機」「『男らしさ』からの脱却」とは?前川さんの一文では、「内発的な動機」と「『男らしさ』からの脱却」という概念が重要な位置を占めています。まず、私は、それらの意味を正確に捉える必要があると思います。
2-1 「内発的動機」=「いわば利己的な動機」か? 一要因としての「男女平等思想」心理学では、一般的に、「外発的動機づけ」が「叱責、罰、報酬、強制」などの外的な要因によって引き起こされるものであるに対し、「内発的動機づけ」とは、好奇心や知的関心にもとづくなど、「賞罰には依存しない」ものだと言われます(注2)。
森岡さんの場合も、草食系男子が「男らしさ」から降りる「内発的な動機」について、「女性たちに糾弾されたからではなく~」という説明を付しています。「糾弾」という語は若干戯画的ですが、「叱責や罰によるものではない」という程度の意味でしょうから、上の一般的意味における「内発的/外発的動機」の分類に沿ったものと言えます。
そうである以上、「内発的な動機」は、必ずしも自身の「生きやすさ」の追求という「いわば利己的な理由」によるものとは限りません。なぜなら、とくに外部からの賞罰や強制がなくとも、「他人のため」や「(自分のためだけでなく)みんなのため」に行動する人はたくさんいるからです。前川さんも、きっとその中のお一人だと思います。
前川さん自身が最後で呼びかけている内容も、なにも「男性の自発的動きに期待しても無駄だから、女性たちが法律や制度の力で性差別を規制することによって男性の行動を変えよう」ということ(もちろんそれも大事ですが)ではなく、男性に対して人権の歴史を説くことによって、彼らの内発的動機を喚起するものにほかなりません。
もっとも、たしかに森岡さんは、男性が「男らしさ」を脱却することについて、「『男らしさ』を窮屈に感じ~」という説明をしている個所もあり[c:28]、少なくともその面に関しては、自らの「生きやすさ」の追求という動機があると言えます。
しかし、第一の問題は、動機が果たしてそれだけなのか、ということです。
私などが改めて言うまでもなく、「内発的な動機」は、社会のあり方と無関係なものでも、超歴史的に存在しているものでもなく、特定の歴史的社会的条件の下で生じた「内発」性です。
その点に関して、森岡さんは、草食系男子の増加の背景について、「戦争に関与しない平和な社会」[b:55]が長く続いたこととともに、「草食系男子は、恋愛における男女平等を好みますから、男女平等思想が日本に根付いたことは、きっと関係していると思われます」[b:58]と述べています(注3)。その関連性を示すデータは提示できていないとはいえ、まず、その点から言っても、彼らの行動は「いわば利己的な理由」だけによるものではないと、少なくとも森岡さんは理解しています。
草食系男子誕生の背景の一つに「男女平等思想」があるとしたら、その「『男らしさ』からの脱却」は、男性自身の「生きやすさ」を追求するためだけのものだとは言えません。むしろ「『男らしさ』からの脱却」とも「男女平等思想」は関係があるのではないか、という疑いも生じます。
この点は、森岡さんが把握した草食系男子の「『男らしさ』からの脱却」が、どのようなものかとも関わるので、後の
2-2、
4、
5でさらに考えたいと思います。
第二に、上の点とも関連しますが、男性が自分の「生きやすさ」を追求することと果たしてジェンダー平等とは無関係なのかという問題があります(前川さんも、両立することは指摘しています)。
後述のように、私は、男性が自らの「生きやすさ」の追求を大きな社会的規模でおこなおうとすればするほど、それは、自らの「特権」を放棄することを含めたジェンダー平等社会の実現なしには不可能になると考えています。草食系男子がそれをめざしているわけではないのですが、この点についても後で触れます。
2-2 「『男らしさ』からの脱却」の具体的内容は? 女性を縛る「女らしさ」や性別役割とは無関係か?私は、「男らしさ」が、何らかの意味で「女らしさ」との対比で語られる概念である以上、論理的に言えば、そこからの「脱却」は、方向性としては、何らかの意味と程度において、「男らしさ/女らしさ」の区分を解消する方向性を持った変化たらざるをえないと思います。
もちろん、「『男らしさ』からの脱却」と言われるすべての行為が、「男らしさ/女らしさ」という区分の解消まで展望しているわけでは、まったくありません。「『男らしさ』からの脱却」の中にも、さまざまな程度や形態の「脱却」があります。また、自分では「男らしさ」から脱却したつもりが、実は「男らしさ」の形態が変わっただけ、という場合もあるでしょう。
しかし、だとしても、まず、どういう意味で森岡さんが「男らしさ(からの脱却)」を言っているかを見る必要があるのではないでしょうか?
まず、森岡さん自身による「男らしさ」の説明は、前川さんの引用にもあるとおり、「みずからが規範を産出して女性を制圧し保護する」[c:26]というものです。だとすれば、それに対応する「女らしさ」として、「男性に従属し保護される」ことがあると想定されるので、「女らしさ」や性別分業とは無関係とは言えません。
以下で、もう少し具体的に見ていきます。
3 草食系男子の恋愛自体のジェンダー平等/差別性を検討する必要たしかに森岡さんは、草食系男子の登場は「フェミニズムの勝利」[c:26]だと言っています。しかし、続けて森岡さんが言っているように、草食系男子が登場しただけでは「もちろん(……)社会のジェンダー構造や規範そのものがただちに解体されるわけでは」ありません。
森岡さんの文章は、男女間の恋愛のあり方を論じたものであり、また、「男子」という言葉や「草食・肉食」という言葉からわかるように、とくに若い世代の恋愛を中心にした考察になっています。
とすれば、まず、森岡さんが調査・考察した恋愛のあり方自体について、トータルに、ジェンダー平等の観点から検討する必要があります。恋愛においても、女性に対する差別や抑圧、性別役割は生じてきたのですから、そのあり方自体が、ジェンダー平等の重要な一部でしょう。
その点を、以下の
4、
5で見ていきます。
4 森岡さんが指摘した「草食系男子」の特徴からまず、森岡さんが挙げている「草食系男子」の5つの特徴[b:17-18]を見てみましょう。森岡さんは、草食系男子を「肉食系男子」との対比で語っていますので、カッコ内の「⇔」の後に、肉食系男子の特徴も付記しました。
(1)優しい心を持っている(⇔ハードな心を持っている)
(2)「男はこうあるべきだ」という男らしさに縛られていない(⇔「男はこうあるべきだ」という男らしさを肯定している)
(3)女性に対して、性的にガツガツしない(⇔女性に対して、性的に積極的に行動する)
(4)女性を、女として見る前に、ひとりの人間として見ることができる(⇔女性をまず女として見る、性的に惹かれないときのみ、ひとりの人間として見る)
(5)傷つくこと、傷つけることが苦手(⇔傷つくこと、傷つけることを通して人間は強くなるものと考える)
この5つの特徴は、いずれも、大まかに言えば、「男/女のジェンダー」を乗り越える要素を持っています。まず、(1)は、女性の特質とされている「優しさ」を男性も持つという面があります。森岡さんの説明[b:18-21]によると、それは、「弱い立場の人の身になって考え(……)るなど、やわらかい心の働き」で、「つねに対話をして、お互いの気持ちを確かめ合」いたいと思うことです。これは、通常女性に求められることか、男女を対等な関係として理解した場合の行動でしょう。(2)の「男らしさ」は、「戦うことができ、頼もしく、力強く、女性をぐいぐいと引っ張っていき、弱い女性を守ろうとするような態度」と説明されているので、「男が女を引っ張る」ことに囚われないということです。(3)は、男性と女性を、性的能動性/受動性で区分することを否定する要素を持っています。さらに、(4)は、性的に惹かれるか否かにかかわらず、女性をひとりの人間として見ることであり、女性を、男/女の区分だけに囚われずに見る見方です。また、(5)のような繊細さは、一般には女性の特質とされていると思いますが、それを男性も持つことです。
すなわち、まず、非常に大づかみな捉え方になりますが、森岡さんが挙げる「草食系男子」の基本的特徴からは、彼らは、大きな方向としては、ジェンダー平等に向けて前進していると理解できるように思います。
また、この5つの特徴とそれぞれの説明からは、それぞれが相互に関連していることも見えてきます。すなわち、「優しい心を持っている」から、「女性をぐいぐいと引っ張ってい」くといった「男らしさ」にとらわれず、「女性をひとりの人間」として視るので、「性的にガツガツ」して、女性を「傷つけ」ないよう行動する、というふうに、ごく自然に5つの特徴はつながります。
だとすると、(2)の「男らしさ」から降りることも、ジェンダー平等的要素を持った他の4つの特徴と結びついたものだと言えますから、こうした文脈的に見ても、ジェンダー平等的な要素を持ったものとして捉えられます。
また、いずれも、男性が自分の「生きやすさ」を追求しているという理由だけから生じた特徴だと言える根拠はなく、「男女平等思想」の影響もあると見たほうが自然である(少なくとも、男女平等思想によって強化される特徴である)ように思います。
5 森岡さんによる草食系男子へのインタビューから次に、より具体的に、森岡さんがインタビューした草食系男子の実例を検討してみましょう。以下では、森岡さんが取材した「ファイル1」から「ファイル4」[b:62-143]に収められた男性を、順に、Aさん、Bさん、Cさん、Dさんと記すことにします。
5-1 コミュニケーションにおける性別役割森岡さんのインタビューからは、草食系男子のコミュニケーションには、以下のような(a)~(e)のような特徴があるとまとめられるように思います。
(a) 男性が女性をリードするという役割に囚われず、セックスするか否かやデートの内容について2人で話し合って決める。人によっては、むしろ女性にリードされることを求める。
・Aさん:「男性側には暗黙のうちにリードすることが求められ」たり、「AVのように一方的に欲望を押しつけ」たりすることは、「無理!」。それは、「自分も傷つきそうで、相手も傷つけてしまいそう」だから[b:67-68]。
・Bさん:「素の僕はリーダーシップを発揮するタイプではない。恋愛の場でもそれを求められてもそこまでも頼りがいはないよと。」[b:97]
・Cさん:「僕は年上の女性がいいんですね」「年上がいいのは、引っ張ってもらいたいから」[b:104-105]
・Dさん:彼女が部屋に呼んでくれたら、「[セックスを]したいって伝えるとは思いますけれども」、「積極的に迫」ったり、「襲ったり」はしない。「僕も草食系だから分かるんですが、草食系の男って、どうしても『相手が嫌がったらどうしよう』と考えちゃう」[b:127-128]。「なんでもそうですけど、男側だけじゃなく、女性にも言いたいことを言ってもらって、お互い意思疎通するのが大切かなって思います」[b:131]。すなわち、森岡さんがインタビューした草食系男子は、「男性は女性をリードし、女性は男性にリードされる」という性別役割に従っていません。こうした性別役割は、同意なきセックス=性暴力やDVの温床になるものです。また、女性のほうが男性より年齢などが低くなければならないといった抑圧の温床にもなります。
(b) 男性もちゃんと相手(女性)の話を聞く。つまり、男性も、女性と同様のコミュニケーションの仕方になる。この点は、(a)とも関係があります。
・Aさん:「僕が女性同士の会話を聞いて好ましいと思うのは、自分の人生設計や、恋愛の悩みを、本音を交えて、きちんと意見交換し合う点ですね。男同士の話って、ネタにネタをかぶせるようなところがあって実がないことになりがち。だから、僕も女性と地に足が付いた話ができるのは、発見も多くて楽しい。」[b:82]。
・Bさん:「基本的には女性の話を聞くのは好きなので、彼女が話したいことを話してもらえば楽しい」[b:98]
・Cさん:「僕は知的な会話ができる女性がタイプ」「僕が知らないことをいろいろ知っていて教えてもらえるのも刺激的。」[b:107] すなわち、彼らは、「男性が話をし、女性は聞き役になる」という性別役割には従っていません。この性別役割は、女性のケア役割、男性のマンスプレイニングにしばしば結びつくものであり、性差別的なものと地続きだと思います。
(c) 女性とも、友だちどうしの関係になれる。この点は(b)とも関係があります。
・Bさん:「女性と友達になるまでの敷居は低いんですよ。女性と1対1でお茶したりするのも緊張しません」[b:98]、「人と暮らすのは苦ではないんです。いまも、女友達とルームシェアしています。(……)彼女には別に恋人がいますから、僕と恋愛に発展することもないですね。」[b:100]
・Cさん:「好みの女性と付き合いたいというより、まずは友達として親しくなりたい」[b:108] この点は、先述の(4)の「女性を、女として見る前に、ひとりの人間として見ることができる」という特徴と関わります。この特徴が、とくに「女性の困難に気づき、社会を変えていくための大切な第一歩」(前川さん)と言えるかはわかりませんが、たしかにジェンダー平等にプラスになるでしょう。
(d)女性に積極的にアプローチすることによってモテたいという気持ちは少ない。
・Aさん:「男性文化に違和感」があった。たとえば飲み会の席では、男ばかりだと定番の猥談が飛び出すが、それは「何人とセックスした経験があるとか、つきあった彼女とヤッてどれくらい良かったとか」という、自分がどれだけもてたかの「武勇伝」だ。「でも僕自身はもてたいと自然に思うことができない」「もてるためには、女性に積極的にアプローチしなければならないのでしょうが、それは僕にとってはハードルが高い」[b:65] 男性が女性を追い求めるべきだという規範も、「男は能動的・女は受動的」という性別役割の一部であるだけでなく、ストーカー的な行為と地続きだったり、女性からのアプローチに否定的だったりするという意味で性差別的です。
(e)恋愛に熱が上がらない、一人が気楽でいい。
・Bさん:「恋愛に対して熱が上がらないんです」[b:96]、「低め安定の恋愛がいちばん心地いい」[b:97]
・Cさん:「恋人はいまはいません。ひとりが気楽でいいかなという気持ちがまだ強いのかなあ」[b:103]、「恋人がいるのもステキだけど、どこへ行きたいとか何時に会うとか予定をすり合わせなきゃいけない。それがちょっと面倒というか。ひとりだったら、勝手にできますからね。[b:109] こうした志向は、直接には女性と関係ありませんが、カップル単位に対する冷めた感情ですから、間接的には性差別解消にとってプラスの要素があります。
以上の(a)~(e)の点において、草食系男子や彼らの「『男らしさ』からの脱却」は、性別役割における女性の従属性・被抑圧性の解消やジェンダーにおける男女二分法の克服に向けて前進していると言えます。
こうした草食系男子が誕生する背景として、「男らしさ」の呪縛の窮屈さだけでなく、(a)~(d)の点については男女平等意識もあると想定することも、ごく自然なように思います。
とくに彼らが感じている「『男らしさ』の窮屈さ」や「生きづらさ」に焦点を当てるとしても(注4)、その点が言葉としてうかがえるのは、「暗黙のうちにリードすることを
求められる」[b:67]、「[男は]もてるためには、女性に積極的にアプローチし
なければならない」[b:65]という文の下線部あたりでしょう。男性が女性を「リード」しなければならないことへの抵抗は、他にも語られています[b:97,105]。
ほかに、「自分も傷つきそうで、相手も傷つけてしまいそう」だから「
無理」[b:67]とか、「
どうしても『相手が嫌がったらどうしよう』と考えちゃう」(下線部は遠山)[b:128]とか、「男同士の話って、ネタにネタをかぶせるようなところがあって実のないことになりがち」[b:82]というあたりにも、彼らの抵抗感が読み取れます。
しかし、これらは、上で見たように(a)(b)(d)の文脈で言われていることであり、彼らが抵抗を感じている「男らしさ」の規範は、女性には男性以上のしんどさを生じかねないことです。ですから、これらの点については、彼らが「男らしさ」から脱却し「生きやすさ」を求めることは、女性の「生きづらさ」の解消にもつながることだと思います。
5-2 労働における性別役割分業前川さんが、「男らしさ」からの脱却と「女らしさ」や性別役割の問題とどう向き合うかとは別問題だ、と述べる根拠は、「草食系男子」の女性観・家族観の内容は様々だが、自分が望む結婚の形として「子どもができたら、奥さんに子どもの側にいてあげてほしい」と答えるような人もいたという理由によるものです。
5-2-1 全体的には、性別分業に対して柔軟な傾向たしかにおっしゃるように「様々」なのですが、私は、前川さんが肯定的に引用しているAさんだけでなく、他の男性も、家事分担には比較的積極的姿勢を見せている点にも注目しました。
・Bさん:「家事はとくに割り振っていないんです、適当に分担し合ってやっていますが」[b:100]
・Cさん:「会社に弁当持参で行く」[b:102]、「もし結婚しても、妻には仕事を続けてもらいたいので、家事は分担しますよ。(……)家庭を切り盛りしてもらいたいとか、女性的な役割を押しつける気はありません。極論すれば、彼女がすごいキャリア志向なら、僕が仕事を辞めて主夫をしてもいいかな」[b:108] ・「子どもができたら、奥さんに子どもの側にいてあげてほしい」と言ったのはDさんですが、彼さえも
「学生のとき、ずっと自炊していたので、最低限は作れますよ」「料理は料理教室に通いたいぐらい好きです。」、(結婚したら料理を)「一緒にできたらいいなって思います」「一緒に作ったりしたいですね」[b:122] と言っています。
事例の数が少なすぎるとはいえ、こうした家事に関する姿勢は、「草食系男子」の他の特徴とつながっているので、必ずしも偶然ではないように思います。Bさんは、家事分担について、
「いまも、女友達とルームシェアして」して、将来は「同居人感覚の結婚もありかな」[b:100]という文脈の中で語っています。Cさんの場合は、
「年上の女性がいい」とか「引っ張っていってもらいたい」[b:104] という希望とつながっています。
彼らの現実の共同生活の中では、こうした姿勢が貫かれ(てい)ない可能性はありますが、平均的男性に比べれば、柔軟な姿勢を持っているように思います。
5-2-2 子どもが小さいうちは妻が家庭にいることを望む意見についてDさんは、以下のような発言を見ると、他の面でも、他の3人より保守的な点があります(質問事項が異なるので、厳密な比較はできませんが)。
・相手の女性に求めるものは、「こっちの心とか、立場とかに対する(……)思いやり」[b:115]
・「プロポーズは自分からしたい」、「ふだんはグダグダでも、節目はきちんとしたいなと思うので」[b:118]
・結婚に一番求めていることは、「落ち着く場所というか自分の居場所というか帰る場所がある」こと[b:119]。Dさんについて、どう考えたらいいのでしょうか?
第一に、こうした保守性は、Dさんのプロポーズについての発言にみられるように、「男性が女性をリードし、女性は男性にリードされる」関係、そうした意味での「『男らしさ』からの脱却」が不十分であることと関係があるのではないか、ということです。
第二に、そうは言っても、すでに触れたように、Dさんも、女性に嫌がられることはせず、お互いの意思疎通を重視するという点などでは「草食系男子」の特徴を持っています。こうした特徴は、もし女性が出産後に仕事を辞めることやケア役割を嫌がったら、それと矛盾する可能性があります。この矛盾は、Dさんと女性が話し合う過程で、Dさんが考えを改めることによって解決する可能性もありますし、逆に、Dさんが女性の意思を押さえつけることによって問題を「解決」して、Dさんが草食系男子ではなくなる可能性もあると思います。
以上の2つの意味で、Dさんの事例も、「男らしさ」からの脱却と女性に女性役割を求めることからの脱却とは関係があることを示しているのではないか? 前者だけから脱却して、後者から脱却しないことは、矛盾をきたすのではないか? と考えます。
6 草食系男子は、ジェンダー平等への第一歩はすでに踏み出している以上の
2、
4、
5の点から見て、草食系男子は、「ジェンダー平等への一歩」はすでに踏み出していると言えます。
すなわち、森岡さんの「男らしさ」の定義や「草食系男子」の特徴づけ(その背景としての「男女平等思想」を含めて)、「草食系男子」へのインタビューから見るかぎり、森岡さんの言う「男らしさ」から降りることは、ジェンダー平等への前進であり、女性の抑圧解消にもプラスになるものだと言えます。
また、「男らしさ」一般でなく、「『男らしさ』の呪縛の窮屈さ」から脱却する(その意味で「生きやすさ」を求めること)という点に絞って考えても、
5-1で述べたとおり、それ自体が女性にとっての抑圧解消にプラスだと思われます。
ですから、森岡さんの言う「草食系男子」には、「ジェンダー平等を訴えるフェミニズムの主張を、自分たちの安寧を脅かす目障りな存在として、バッシングの対象」にする人は、少なくとも平均的男性に比べれば、少ないと考えられます。
もちろん、フェミニズムについてよく理解している人は、草食系男子の中でもごく一部でしょうから、バッシングをする人が全くいないわけではないでしょう。
しかし、たとえば、彼女が自分の部屋に来たからといって、襲ったりせずに、「したい」と口に出して合意を求める人は、セックスにおける「合意」を説くフェミニズムに反発を覚えることは少ないでしょう。むしろ世間の一部の常識に抗して自らの女性とのつきあい方を正当化してくれるものとして、フェミニズムを歓迎する場合もあるのではないでしょうか。
江原由美子さんの言う「男はつらいよ型男性学」についても、森岡さんの言う「草食系男子」と同様のことが言えます。すなわち、私が「
江原由美子氏の田中俊之氏に対する批判について――田中氏の考察の到達点を踏まえた課題提起を」(拙ブログ「社会の片隅から」2019年10月2日)で述べたように、江原さんの言う「男はつらいよ型男性学」は、女性差別をテーマとはしておらず、ジェンダー平等に結びつく上では大きな課題を残しているとはいえ、フェミニズムとは親和的なものであり、ジェンダー平等とは真逆の方向の動きと呼応してしまいがちだということはない、と考えます。
7 「男らしさ」に乗らないことは必ずしも「生きやすい」「利己的な」選択ではない――彼らを応援した森岡さんの著書の意義もう一つ述べておきたいのは、「男らしさ」から降りる(乗らない)こと自体、必ずしも「生きやすい」、「利己的な」選択ではないということです。
第一に、草食系男子は、「肉食系男子」のように、単純に女性を追い求めて言うことを聞かせればいいのではなく、女性との間に合意を作っていく必要があるからです。「民主主義とはめんどうくさいものなんだ」ということは、この問題にも当てはまります。
実際、Aさんは、女性と親密な関係になるのも「短期間では難しいと思います。何かを決めなくてはいけない場面を二人で何度も共有して、そのつど問題をクリア」[b:79]することが必要だと語っています。Aさんは、「合意して決めるべきところと、自分で決断すべきところを線引きするのは、いまでも難しい」[b:77]とも言います。
第二には、草食系男子の恋愛のしかたは、社会の主流の恋愛規範と抵触しているので、そのために起きる困難があります。
一つは、社会からの視線です。森岡さんは、草食系男性は「自分たちが草食系であることを肯定していることが多いが、同時に、社会からは侮蔑の目で見られることがあるのを知っており、そのことを悩んでいる者もいる。マスメディアやインターネットの言論においては、草食系男子に対する男性からの批判の言葉が多く聞かれる」と指摘しています[c:25]。
もう一つは、社会で主流の恋愛のあり方との矛盾による、女性との恋愛の上で生じる困難です。
そうした彼らの恋愛を応援するために、森岡氏は『草食系男子の恋愛学』(メディアファクトリー 2008)を書き、彼らと出会いたい女性のために『最後の恋は草食系男子が持ってくる』(マガジンハウス 2009)を書きました。
8 森岡さんが言う「草食系男子」の増加は立証されていない――この点で「フェミニズムの勝利」か疑問が残るただし、私も、草食系男子の登場を、森岡さんが「フェミニズムの勝利だ」と評していることに対しては、別の理由から疑問を持っています。
その理由は、「草食系男子」が増えている根拠が明確でないことです。森岡さん自身、草食系男子が増加したと述べている新聞や雑誌の記事には、多くの場合「それを裏付ける資料は掲載されてい」ないと指摘しています。森岡さん本人も、データとしては、20代男性の殺人件数の減少という極めて間接的なデータしか挙げていません[b:54-57]。
森岡さんの場合は、「草食系男子」をより独自に特徴づけていますが、そうした男性が増えたかについては、なおさらはっきりしません。
久真八志(くまやつし)@okirakunakumaさんは、twitterで、森岡さんの本は、そういう男性が本当に近年増えたのか論じるところにはほとんど焦点がない。フェミニズムの影響云々は、森岡さんがフェミニズムの影響下で考えたことを投影したような混線した印象があるという趣旨のことを指摘しています(2020年1月16日午後2:33)。
もっとも、「草食系男子」という言葉を作った深澤真紀さんが挙げる彼らの特徴も、セックスにガツガツしない、「雑魚寝」をしても手を出してこない、女子のことも「人間」として見ていて、男女の間でも友情が成り立つ、といったことなので、森岡さんの定義とある程度、似ています(注5)。そうした「草食系男子」が広く話題になったことは、男性の行動の何らかの変化を示している可能性が高いでしょう。
ただ、森岡さんの「草食系男子」論はフェミニズムとの関係を重視しているので、「男性が女性を追い求めリードする」という規範が変化したか否かが、重要だと思います。
その点について、田中俊之氏は、2015年段階においても、若い男性について「むしろ、注目しなければならないのは、何が変わっていないか」であり、「ほとんどの若者は告白やプロポーズといった重要な決断は男性からするべきと考えて」いるなど、「『男がリードする側/女はリードされる側』という図式がまったく崩れていない」ことを強調しています(『男がつらいよ』KADOKAWA 2015、p.149、209-210)。
こうした点を含めて、若い男性の変化をどうとらえるかは、まだ十分研究されていないのではないかと思います。
9 「美味しいとこ取り」をどう考えるか森岡さんの言う「草食系男子」やその「男らしさ」からの脱却は、ジェンダー平等に向けて前進したものであることについては、
7で述べたとおりです。
ただし、私も、前川さんが「美味しいとこどり」の問題を提起したことは意義があると思います。
前川さんは、「美味しいとこどり」を、「自身は男性役割や男らしさの規範から逃れながら、女性には相変わらずこれまで通りのジェンダー規範を求める」ことと説明しています。
前川さんも引用してる先述のAさんが、「自分の感じている違和感が、男に対して無条件に期待される『男らしさ』によるものだと分かってくると、今度は『女らしさ」によるしんどさが女性にあることにも気づきました」と述べていること自体、「男らしさ」による抑圧への気づきと「女らしさ」によるそれとが、相対的には区別できることを示しています。
9-1 森岡さんと前川さんは、「男らしさ(からの脱却)」についての定義や考察の対象が少し異なるのでは?私は、前川さんの「『男らしさ』(の束縛)からの脱却」の定義には、森岡さんとは異なる面があると思います。森岡さんは、草食系男子の中に「男女平等思想」があると認識していて、実際、森岡さんがインタビューした彼らの「男らしさ」に対する抵抗感の中には、「男女平等思想」によるものも含まれているように思います。それに対して、前川さんは、「『男らしさ』からの脱却」を、森岡さんと異なり、「生きやすさ」「心地よさ」にストレートにもとづいたものとして理解しており(実際、先述の久真八志さんは、前川さんの「『男らしさも恋愛も面倒』という、いわば利己的な理由だけで『草食化』した男性たち」という記述について、「ここにまた新しい(そして実在も疑わしい)草食系男子の定義が生まれてしまった」と述べています)、草食系男子の中の男女平等意識については、あくまでジェンダー平等社会に貢献する「可能性」レベルのものと理解しています。
その点と関連しますが、森岡さんは、主に恋愛中の男女のコミュニケーションや同意の問題に焦点を当てています。それに対して、前川さんは、労働における性別分業に注目しています。この点について、私は、男女のコミュニケーションや同意の問題については、男性役割と女性役割が表裏一体となっている面が大きく、「男らしさ」からの脱却がストレートに女性に対する抑圧の解消につながる(ただし、そのぶん男性側に男女平等意識が要求される)面が大きいと思います。それに対して、労働の問題は、男性の長時間労働・過労死や、競争原理に駆り立てられるといった問題は、女性の被差別状況や家事負担の問題とは、根底的には関連しているとはいえ、それほど表裏一体ではありません。
このように森岡さんと前川さんは、「男らしさ(からの脱却)」の定義や考察の対象が少し異なるように思います。前川さんの問題意識にきちんと応えるためには、森岡さんの調査・研究とはまた別のものが必要されるのではないでしょうか。
9-2 「美味しいとこ取り」とそれに対する対応についての私なりの考察以下では、とりあえず今の時点で、私なりに、「美味しいとこ取り」の問題について、考えたことを述べてみます。その際には、できるだけ森岡さんの調査や考察を素材にしてみました。
私は、「美味しいとこ取り」の中には、以下のようなパターンがあるように思います。
第一に、森岡さんの「男らしさ」の定義の中の「女性を制圧し保護する」ことのうち、「制圧」は放棄しないままに、「保護」だけを放棄するパターンです。昔から、収入は妻に頼りつつ、家事はせずに、むしろ家族に暴力をふるうような男性はいました。
Cさんは、先述のように年上の女性に引っ張ってもらうことを望んでいます。Cさんは、「仕事において出世欲のようなものはほんとうにないですね。もっとスキルアップしなきゃとか、稼ぎたいとか、考えただけで疲れる」[b:95]とも言っています。それゆえ、Cさんは、「家事は分担する」「彼女がすごいキャリア志向なら、僕が仕事を辞めて主夫をしてもいいかな」と言っています。しかし、もしCさんが実際には家事をしなければ、上のパターンに少し近い状況になります。
ただし、そうした男性にはお相手が見つかりにくいですし、たとえ見つかっても離婚される可能性が高いでしょう。性差別が解消されるにつれて、そうした男性が存在する余地は減ってきました。しかし、今日の社会では、まだ男性に家事をすることを求める規範は弱く、女性の離婚の権利も十分保障されていないので、個別にはそうした状況が生じる基盤は失われていません。
第二に、全体としては草食系で、たとえば女性をリードすることを負担に感じて、女性との話し合いによって物事をすすめる男性でも、家事・介護労働は女性に押しつけがちな人もいるでしょう。先述のように、話し合いや合意をすることにも面倒くささはありますが、それより家事や介護という労働をする方が、ずっと手間も時間もかかるので、そういう中途半端な男性は多いと思います。
言い換えれば、「コミュニケーションにおける性別役割」を解消するより「労働における性別役割分業」を解消するほうが、男性にとってハードルが高いので、前者は解消しながら、後者は解消しないということが、それほどは矛盾を露呈せずに、できてしまうということがあります。先述のDさんの考えが今のままだと、そうなる可能性があります。
以上のような2つの状況が、「美味しいとこどり」として、比較的ありうることではないかと思います。第一の状況は、「草食系男子」や「男らしさ」の特徴のうち、自分が楽になる面だけを取るパターンです。それに対して、第二の状況の場合は、第一の状況ほど「美味しいところ」ばかり取っているわけではないですが、より困難な部分は回避するというパターンです。
しかし、全社会的に見れば、女性役割が残るかぎり、男性役割も残らざるをえません。ケアの問題に関して言えば、ケア役割のジェンダー平等(その中には、ケアの社会化とその際の他職種との同一価値労働同一賃金も含まれます)なしには、女性は、男性と対等な経済的・社会的な力を獲得できないので、そのぶん男性には独自の規範や役割――女性を支配し保護する規範と役割が残らざるをえません。
上で述べたうちの第一の状況は、夫が家事をしなくても妻も経済力を持てる一部の「恵まれた」状況(女性が男性同様に正社員になれて、家事は母親がしているなど)の男性だけが可能で、かつ不安定なものです。第二の状況は、妥協的なもので、Dさんの事例で見たように、矛盾をはらんだものです。
つまり「『男らしさ』からの脱却」も「生きやすさ」も、それを本当に実現しようとすれば、男性もケア役割を担い、ケア労働者の権利を保障する社会をつくらなければなりません。
ただし、それをめざすには、第一に、高度に全社会的な視点が必要とされると思います。
直接自分の利益になる「賃金を上げる」ことも、それを職場で実現するには、運動をする手間も時間もかかりますし、差別される危険もあります。狭い意味での利己的な人にはできないことです。
男性が「『男らしさ』からの脱却」や「生きやすさ」を本当に実現するには、そのうえに、女性に対する「特権」も放棄しなければなりませんから、より高度な、より社会的な視点が必要です。そうしたことを、家族の中の無償のケア役割を担うような実践に結びつけるには、究極的には「自分のため」になる社会変革であっても、強い信念が必要なように感じています。また、「男らしさ」や競争原理からの脱却を、何のために生きるのか、といったことにまで深める必要もあると思います。
第二に、家族の中での無償のケア役割を担うためには、たんに「自分のため」だけでなく、しっかりと女性の身になって考えるということも、必要でしょう。ジェンダー平等についての理念や理論、歴史を深めることも、力になるでしょう。
ダイアン・グッドマンは、マジョリティが社会的公正を支持する理由を、(1)被抑圧集団の人々への「共感」、(2)平等、他者の苦痛の緩和といった「道徳的原則、宗教的価値観」、(3)被抑圧集団に対する抑圧の解消が自分たちの利益にもなるという「自己利益」に分類しています。男性である自分の「生きやすさ」は(3)の「自己利益」に属します。女性の身になって考えるということは(1)の「共感」に属します。ジェンダー平等についての理念や理論、歴史を知ることは、(2)の「道徳的原則、宗教的価値観」を深めることでしょう。
グッドマンは、第一に、(1)~(3)のそれぞれのモチベーションをより高度なものに育成すること、第二に、(1)~(3)を組み合わせることを説いています。
「美味しいとこどり」にならないためには、第一に、上の(3)「生きやすさ」の追求という視点をより高度なものに高めることとともに、第二に、(1)(2)のような視点を加味することが必要だと思います。
10 草食系男子にどう訴えるか前川さんは、最後に、草食系男子への訴えをしておられるので、私もこの問題を考えてみました。
10-1 歴史を踏まえた訴え前川さんは、男子普通選挙権を例に挙げて、人権や平等という概念が対象範囲を広げてきた歴史を踏まえて、私たちもその恩恵を得ているのだから、今後はジェンダー平等な社会を目指すべきことを訴えています。この訴えは、筋が通っています。実際、今の社会でも、自分たちが他者の運動の恩恵を得る一方で、自分たちの活動が他者にもプラスになっているという連帯は、あちこちで実現されていると思います。
私でしたら、近代史から説くとしたら、戦後改革の際の女性の参政権獲得を例に挙げて、そのとき、社会が良い方向に変わったことを述べて、今後も、女性の人権獲得は、社会をよくするためには必要ではないか、と訴えると思います。これも、歴史を踏まえた訴え方だと思いますし、私自身の確信でもあります。
ただし、より具体的で、よりリアリティがあり、もっと自分自身の経験を加味した訴えにしなければならないとも思います。
10-2 とくに草食系男子に焦点を当てた訴えまた、私は、とくに草食系男子に焦点を当てた訴え方も必要だと思います。
この点では、やはり森岡正博『草食系男子の恋愛学』の意義が大きい。森岡さんは、同書の第1章で「女性に集中し、話をよく聴くこと」、第2章で「女性の『身』になって考えること」を詳しく論じていますが、これらは、草食系男子の持つ素朴なジェンダー平等志向に着目して、それをさらに発展させるものです。
ただし、『草食系男子の恋愛学』の不足点として、前川さんは、家事・育児・介護などのケア役割の多くが女性に課されている問題についての記述が乏しいことを指摘しました。千田有紀さんは、同書には、妊娠や出産に関して「男性の傍観者的なスタンス」があることを指摘しています(「
草食系男子の恋愛学」千田有紀のTokyo日記2009-05-13)。草食系男子に対する訴えについては、前川さんや千田さんが指摘したような点を加えることは必要だと思います。
私がもう一点指摘するとしたら、
5-1で述べたように、草食系男子の中には、恋愛に熱が上がらない、一人が気楽でいいという志向もあるのですから、一人でいることの意味について説いて、そうした志向をサポートすることも必要ではないかということです。
10-3 とくに「美味しいとこどり」の問題に対応した訴えとくに「美味しいとこどり」の問題に対応した訴えとしては、草食系男子の素朴な男女平等意識との矛盾を突くような訴え方もあるかもしれません。たとえば、女性に嫌がられることはせず、お互いの意思疎通を重視する一方で、「子どもができたら、奥さんに子どもの側にいてあげてほしい」と述べているDさんに対しては、次のような訴えも必要ではないかと思います。
あなたは、女性がいったん仕事を辞めて再就職する場合の難しさ、条件の悪さはご存知ですか? パートナーの方が「仕事を辞めたくない」と嫌がったり、「やっぱり仕事を辞めないほうがよかった」と後悔したりすることにならないようにしてください。こうした仕事や家事のあり方についても、パートナーの方にも、言いたいことを言ってもらって、意思疎通を進めてください。それから、もしパートナーの方が経済的にあなたに頼らないと生きていけないことになったら、言いたいことも言えなくなるような関係になることもあります。あなたには家事能力があって、料理もお好きだということを生かしてはいかがでしょうか?
おわりに最初の問題意識に戻ると、私の場合、前川さんに比べて、以下の点で、男性が自らの性別役割から脱却することや自らの解放とジェンダー平等との関係について、より密接な関係として捉えているように思います。
・「草食系男子」における「男らしさ」からの脱却とジェンダー平等とをより深く関連したものとして考えていること
・「美味しいとこどり」が矛盾をはらんだものであり、社会全体としては不可能だと考えていること。
しかし、両者が同一でないことは、前川さんと同意見であり、より深く探求していかなければならないと考えています。
また、「草食系男子」と言われる現象については、学問的な調査自体が少ないと思います。私自身にはその力はありませんが、社会的に話題になっているのですから、そうした調査が広く行われてほしいと思います。
注(注1)昨年私が発表した「
最近の男性学に関する論争と私(PDF)」でも、女性解放とメンズリブは完全に表裏一体の活動ではなく、相対的に独自の活動である面があると同時に、根本的には深く関係していることを論じました(p.35-36)。
(注2)日比野英子監修、永野光朗・坂本敏郎編『心理学概論』(ナカニシヤ出版 2018)によると、「外発的動機づけ」が「賞賛、叱責、報酬、罰など、外的な要因によって行動が引き起こされている場合」であるのに対して、「内発的動機づけ」とは、「行動すること自体が目的となっている場合」を意味します。中島義明ほか編『心理学辞典』(有斐閣 1999)は、「内発的動機づけ」について、「個々の立場により多少の差異はあるが、大まかには、『その動機が引き起こす活動以外の賞に依存しない動機づけ』として、内発的動機づけを捉え」るとしています。また、wikipediaからの孫引きですが、美濃哲郎、大石史博編『スタディガイド心理学』(ナカニシヤ出版 2012)によると、「外発的動機づけ」が「義務、賞罰、強制などによってもたらされる動機づけ」であるのに対し、「好奇心や関心によってもたらされる、賞罰に依存しない行動」だといいます。
(注3)もちろん男女平等思想の影響は、男性だけでなく、女性にも及びますから、女性の行動が間接的に男性に影響を与える面もあるでしょう。たとえば、草食系男子の特徴の一つとして、「傷つくこと、傷つけることが苦手」という点がありますが、男性が恋愛関係で「傷つく」場合というのは、相手の女性が、男性の言いなりでなく、何らかの形で自己を主張するからだと考えられます。こうした間接的な形でも、男女平等思想は影響するでしょう。
(注4)ある人が抱く「窮屈さ」「生きやすさ」「心地よさ」といった感覚も、その人が「男女平等思想」を持っているか否かで異なってくるので、フェミニズム思想と完全に切り離しては考えられない面もありますが、ここでは、何らかの抵抗感が読み取れる個所を見てみます。
(注5)深澤真紀『平成男子図鑑』(日経BP社 2007)p.125-134。
http://genchi.syoyu.net/category-7/4.html「草食系男子」とジェンダー平等――森岡正博さんに対する前川直哉さんの批判について